ITソリューション部を支えるエンジニアの長に聞く。大橋GMインタビュー
今回は、過去何回かにわたって記事に出てもらっている“ITソリューション部GMの大橋”に、彼のこれまでのエピソードや、管理部GMの浦野とのエピソードなどを話してもらいましたので、ぜひ読んでみて下さい。
目 次
Table Of Contents
プロフィールや自身のことについて
大橋 昌史
ITソリューション部/GM
エンジニア経験年数22年
【自身のキャラ】
どちらかというとコミュニケーションは得意な方ではないので、基本的には聞き手側に回るように意識をしています。
【休日の過ごし方】
ふと広告を見たのをきっかけに、2023年5月から英語の勉強をしています。休日以外にも仕事から帰宅後に1時間ほど勉強したり。それまでスマホゲームに使っていた時間を英語の勉強に費やそうと思い、スマホゲームをアンインストールしました。でも、時には子供と一緒にNintendo-Switchをプレイして楽しんだりもしています。
エンジニアを志そうとしたきっかけ
実をいうと、もとは中学校の数学教師を目指していたので、エンジニアになりたかったわけではないんです。ところが教員の資格が取れなかったため「どうしよう」と考えていたとき、「教育をする場はなにも学校だけではないよ、どんな場所にも教育はあるのだから」と親から言われ、「それならば就職活動をしよう!」と、なんとなくIT企業にエントリーをしました。
それ以外に物流系の会社も受けていたのですが、最終的には面接担当の印象の良さからITの方に決めたというだけで、本当にたまたまITだったという感じです。
エンジニアとしてのこれまでの経歴
大学が関東だったので、新卒入社した会社でもそのまま関東で働くのかと思いきや、東北支社に飛ばされて青森に引っ越すことに。そして2年ほど青森で勤務をしたのち、「名古屋で大規模なプロジェクトがあるから、そこに行ってくれない?」と言われて行くことになったのですが、名古屋に支社を置いていない会社でしたので、全国から人を集めてチームを組んで参画する感じでした。
名古屋にはマンスリーマンションを借りつつ滞在していたのですが、あるとき当時の東北支社長から「青森の家を引き払って名古屋で借りたら?」と言われ、正式に名古屋に引っ越しました。ただ、全国から来ていた他の方々は転居になることはなく、プロジェクトが縮小していくのと同時に地元に帰って行ったため、最終的には私1人になっちゃったんですね。
そうこうしているうちに、東北支社をバラして一極集中型にするという会社方針に変わりました。だから東北へは戻れず、その後は大阪支社に所属する形になったのですが、それでもなかなか戻る機会をもらえずで…。
その後もいろいろとあったので、「それならこのまま名古屋で頑張っていくか」ということで28歳のときに退職しました。エンジニア経験でいうと4〜5年目くらいで、技術的にも自信がついてきていた頃だったので、個人事業主として頑張っていこうと一念発起したんです。ところが私、モノは作れても営業はできなかったんです。だから思うように仕事をとってくることができず、独立して半年後には貯金が底をつきかける事態になったので、“サラリーマンに戻ろう”と決めて29歳で再度転身。それがビーピーオークリエイトの1つ前の会社です。そこで10年ほど働いたのち、39歳でビーピーオークリエイトに移ったという感じですね。
管理部GM浦野との出会いや印象に残るエピソード
はじめの出会い
新卒入社した会社のころ、東北支社から出張で名古屋に来ていたわけですが、当時の私は26歳でエンジニア2年目。参画していた大型プロジェクトには私が在籍する会社のメンバーのほかに、他社メンバーも含めたさまざまな人がいたのですが、その他社に新入社員として入社した浦野がプロジェクトに入ってきたんです。それが彼とのはじめての出会いでした。そして出会ったその週には電話番号を交換し、週末の飲み会にも来てもらったりしました。
当時のそのプロジェクトとは
大手自動車メーカーのとても大きなプロジェクトでした。もはやシステムが大きすぎて、どの部分をやっているのかすら全然わからなかったですね。(笑)
浦野に対する印象や関係性について
印象としてはまったく嫌味のない人だなと思いました。付き合いもよく誰とでも打ち解けられるし、安心感がある感じでしたね。むしろ私とは違って大人だな〜と思いました。(笑)
そのあとは一緒にやっていたプロジェクトが解散となり、私は個人事業主の道へ、浦野は別の人たちとチームを組んで他のプロジェクトへ、ということになりました。以降は飲み会で一緒になった際に顔を合わせるくらいの感じでしたから、個別でご飯に行くとかそういったことは特になかったですね。
2人にまつわるエピソード
私が個人事業主を辞めて会社員に戻った数ヶ月後、「浦野くんもこっちに来ない?」と声をかけて一緒に働くことになったのがビーピーオークリエイトに移る前の会社でした。そこで浦野と一緒に長らくのあいだ頑張っていたのですが、時が経つにつれて次第に経営が立ち行かなくなり、もう長くは持たないという終盤の頃、首の皮一枚で繋がっているような厳しいプロジェクトがあったんですね。ですがお互いの得意分野や強みを活かし、協力しながらそのプロジェクトをやりきることができたというのが1番印象に残るエピソードです。
ビーピーオークリエイトとの出会い〜入社後
ビーピーオークリエイト入社経緯
入社経緯については基本的に浦野と同じです。来客の中の1人に鈴江がおり、そのなかでビーピーオークリエイト設立の話に誘われ、浦野と2人で意見交換や情報の共有をし合いながら、2人の総意としてその話に同意しました。
とはいえ、私は前の会社で参画していたプロジェクトの区切りがつき次第でしたから、浦野より2ヶ月ほど遅れての入社になりました。
ビーピーオークリエイトから期待されていた役割
ビーピーオークリエイトに移ってからは日々が目まぐるしかったです。
目の前のことをがむしゃらにこなし、この会社を軌道に乗せるために踏ん張っていました。でも、いったい何をすればいいのか全然わからず。たとえばお客様先に行って話はするのだけど、実際に仕事をもらうということもしたことがなかったのでどうしたらいいか困ったり。ほかには納品書や請求書。これまで納品書などの書類関係は別の人がやってくれていたので「納品書って何ですか?」とお客様に聞いて教えてもらったり。それでも、とにかく事態が好転するように奔走しましたね。
現在の役割や行なっている取り組み
現在はGMとしてITソリューション部全体を統括しています。
また、私自身の取り組みとしては(プレイングマネージャーとして)プレイしないように部下の作業を見守り、後方支援に徹しています。私が手を出した方が早いし失敗することもないと思いますが、それでは彼らが育ちません。上手くいかずに失敗することもあるでしょうが、それも大切な経験だと考えていますので、可能な限り手を出さずに見守るスタンスを心がけています。
感じているやりがいとは
部下の子たちのやれることが増えてくると嬉しくなりますね。単純に成長していく姿を見届けられるし、それを本人が自覚してくれていたらなお嬉しく思います。
今後の抱負などあれば
抽象的な言葉で表現するのであれば成長し続けることです。それと抱負ではないですが、業務の効率化については日頃から考えています。私の得意分野はプログラミングなので、仕事を楽にするツールやシステムを作りたいなって。まだ着手できていないので構想状態なのですが、たとえば各個人の売上管理を楽にしたり、社員評価するための資料を簡単に作れるようにしたり。そうした社内のDX化を推進していきたいなとは思っています。
さいごに
いかがでしたでしょうか。今回は当社の屋台骨を支える大橋からいろいろな話を聞くことができました。この記事をとおして大橋のことや、ビーピーオークリエイトの生い立ちを少しだけ知っていただくことができたかと思います。
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